チベット文化、四川料理、ときどき旅。

中国四川省で暮らすアラフォーの日々。山々に囲まれた標高2600mの町、カンディン市。バーを営む中国人の夫とその仲間たち。息子と犬。辛い食べ物と大自然。たまに旅。日々の様子を綴っています。

この町の犬

 うちには今年9歳になる雄のシュナウザーがいる。

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 賢く気が優しいが、一匹のネズミを前に尻尾を巻いて後ずさるほど臆病で、名を『うさぎ』という。

 夫との馴れ初めの頃、この小さな町の一つ一つを犬と一緒に見て歩いた。山に広場、売店、土産物屋、食事処、カフェ。どこでも犬同伴で入店し、犬も当たり前のように席に飛び乗り、お座りをして寛いでいる。夫はリードを付けないどころか、持っていないと言う。犬は一時も離れず夫の後をついて回り、トイレの際はドアの前で待っている。夫は“いつも犬を連れた眼鏡の男”で知られていた。

 

 チベットと中国の文化が入り混じるこの町は、犬の楽園だ。動物と人が共に生活をするチベット文化と、ペットを家族とみなす中国文化の狭間にある。

 大小様々な犬種が飼い主を連れ通りを闊歩し、春になると野良犬が徒党を組み悠々と道を渡る。犬の方も持ちつ持たれつ、人と共存してやるか、と立場をわきまえたような態度で、特に何の問題も起こさない。

 そもそも、山手の方では家畜が野放しにされているので、リードや糞の始末に対して寛容で、川沿いの道は“犬の糞通り”と呼ばれ、ぼーっとしていると、ぐちゃっとやらかす。

 

 朝、幼稚園に息子を送るとそのままうさぎを連れ“犬の糞通り”を山の方へ向かって歩く。山へ続く長い階段のふもとが休憩所になっており、日光浴を楽しむ老人と犬の憩いの場になっている。

 いつも顔を合わせるコリーと尻に鼻をつけ合って挨拶を交わし、階段に挑む。途中までリズムよく登るが、ラストの急階段を前にふーッと肩で息をつき、天を仰ぐと向かいの山の頂が見渡せる。昨夜の雨がまだ山頂に霞を残し、冷気を帯びている。湿った植物の匂いを欲張って吸い込み、残りの階段に足をかける。

 登り切ると、頂上の方向とは逆に、町の方へ緩やかに下る。野良なのか飼い犬なのか、顔見知りの犬たちと連れ立って町まで降り、市場で食材を買って家へ戻る。

 

 毎年春になると増える野良犬の駆除に役所は頭を抱える。チベットでは動物の殺生はご法度で、捉えるのだが殺処分ができず、仕方なしに人里離れた山中に放す。あちらで捉えたのをこちらに、こちらで捉えたのをあちらに、あとは自然任せにそれぞれの運を祈る。

 しかしそれも結局形だけで、魚屋で売られている活きた魚を買い取り川へ放すラマを筆頭に、顔見知りの野良犬に餌を与え首輪をつけてやる人もいて、結局町にはいつも野良犬がいる。皆同じ動物なのだし、適当で良いのだ。

 

 数年前、うさぎが何日も帰ってこないことがあった。いつも自分で外に出かけ、遊び足りると帰って来て門を叩くうさぎだが、日を跨いで家を開けることはほとんどない。町の中では顔見知りばかりだが、外部の人間に車で連れ去られたのかもしれない。三日目には流石に心配でたまらず、SNSで拡散し、町中の人に尋ねて回った。

 広場を挟んで反対側の果物屋で見かけたと言う情報があった。願いを賭けて駆けつけた私の前に現れたのは、ガタイの良いゴールデンレトリーバー。その後ろに隠れるようにうさぎが座っている。主人にお礼とお詫びを述べ、“ほら、帰るよ。”うさぎに歩み寄ろうとする私を、ゴールデンレトリーバーは一歩も通さない。“両思いなのよ、青春ね。”と店の主人。

 体格の差というハンデを乗り越え、二人は恋に落ちた。“二人があまりにも嬉しそうでね。どこの子か分からなかったものだから。”家に帰りなさいと果物屋の主人が追い返すも、店の前に腰を据え真摯に思いを伝える相手の男。娘の彼氏として認めざるを得なかった。

 一緒に家に招き入れ、しばらく愛の行方を見守ろうと数日が経ったが、男の親の乱入で愛の逃避行は幕を閉じた。“ウチの子と一緒に知り合いの結婚式にも出たのよ。いい子だったわよ。”引き出物に肉の塊まで頂いたらしい。

 それからしばらくの間、駆け落ちをした犬としてハクがついたのか、町中の顔見知りから声をかけられていた。

犬は犬なりに、色々あるのよ。フンと鼻を鳴らし、今日も通りを闊歩する。

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